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東京高等裁判所 昭和59年(う)1380号 判決

被告人 下益治

昭八・三・二六生 木造建物解体業

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人松崎勝一、同生田目財寿郎、同生田目哲也、同石井正行、同竹谷智行が、連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官が提出した答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらをここに引用する。

所論は、要するに、本件火災が発生した当時の気象条件下では、被告人が行つた程度の廃材の焼却によつて、飛び火が富士宮第一中学校北校舎南外壁の羽目板に付着して発火炎上することは到底おこり得ないことであり、本件火災は、漏電又はその他の電気的異常に基づく発熱により、北校舎の屋根裏ないし天井裏から出火したもので、北校舎南外壁東端付近の軒下部分に観察された火炎は、屋根裏ないし天井裏に蓄積された可燃性ガスが一時に燃焼し右軒下部分の板壁の透き間から外部に吹き出した現象とみるべきものであるところ、これを否定し、本件火災当日の気象状況や被告人の廃材焼却行為につき、梅雨明け後の好天が続いたため相対湿度の最低値が四〇パーセントにまで下がるという乾燥状態にあつた旨、及び、被告人が廃材に点火したあと建設機械ユンボで廃材をすくい上げてはこれを火中に投げ入れたり妻に廃材を火中に投入させるなどの焼却行為を五時間余にわたつて反覆継続した旨、事実に反して過大に認定したうえ、その飛び火を北校舎南外壁の羽目板に付着させ右羽目板部分から発火するに至らしめた旨認定した原判決の事実認定には、判決に影響を及ぼすべき重大な誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて以下検討する。

所論は、まず、本件火災が発生した七月中旬の時期に相対湿度の最低値が四〇パーセントというような低い数値になることは通常考えられないことであり、また富士宮市芝川町消防組合の気象記録に照らすと、当時梅雨明け後の好天が続いたともいえず、本件当日乾燥状態にあつたとは到底認められないと主張している。

しかしながら、富士宮市芝川町消防組合消防長作成の「捜査関係事項照会書について(回答)」と題する書面、半田隆作成の鑑定書(半田隆の原審公判廷における供述とあわせて以下半田鑑定という)に添付されている同消防組合の気象観測記録及び富士宮警察署長の電話照会に対する同消防組合の回答書によると、本件火災の発生地富士宮第一中学校を管轄する同消防組合の消防本部庁舎においてなされた観測結果では、本件火災が発生した日の四日前である昭和五三年七月一二日に、一一一・五ミリの雨が降り相対湿度平均七九・七パーセント最低五六・五パーセント、実効湿度六八・三パーセントであつたが、翌一三日以降火災当日(同月一六日)までの間は、晴、晴のち曇り、曇り、晴と続き、最高気温は摂氏三〇度及び三一度と高く、相対湿度の一日平均値は六一・五、六一・二、六〇・七、六〇パーセントと順次低くなり、その最低値は四〇、四七、四一、四〇パーセントと連日低い数値を示し、実効湿度も、六二・九、六一・六、五九・五、五三・六パーセントと次第に低くなつて空気の乾燥状態が進んでおり、火災当日は、午前九時の時点では毎秒三メートルの東の風が吹き、同一〇時では風がなかつたが、同一一時同一二時にはそれぞれ三メートル、午後一時の時点で四メートル、同二時同三時の時点でそれぞれ五メートルのいずれも南の風が吹き、火災発生時の相対湿度は四〇パーセントであつたことが認められ、右観測に誤りがあつたことを認めるに足る資料はない。そして右の気象状況は富士宮市における火災警報の発令基準である「実効湿度六〇パーセント以下相対湿度三〇パーセント以下にして風速七メートルを越える見込みのあるとき」と対比して考えると、火災の発生しやすい乾燥状態にあつたというべきであつて、原判決が所論のように認定したことをもつてそれが誤りであるといえないことは明らかである。なお、所論は、半田鑑定書に添付されている三島測候所の観測記録をもとに、右測定値の信用性を争うが本件火災の発生地から遠く離れ地理的条件の異なる場所の測定結果をもつて、その信用性を否定することはできない。

次に、所論は、被告人がユンボで廃材をすくい上げて火中に投入するなどして盛んに燃やしたのは風の弱かつた午前一一時ころまでであり、その後は火はおさまり、風が出てきた午後からは、被告人の妻が小さな廃材を燃やしただけで、午後二時ころには炎はほとんど見えない状態であつて、廃材焼却についての原判決の認定はことさらにその危険性を誇張していると非難する。

しかしながら、司法警察員作成の昭和五三年七月二五日付実況見分調書及び四條洋成作成の火災調査報告書に添付されている同人作成の実況見分調書にあらわれている廃材焼却跡の状況、廃材焼却の状況を目撃した関係者の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における各供述、並びに廃材焼却に当つた下豊及び被告人の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における各供述を総合すると、被告人は本件火災当日の午前九時三〇分ころから、富士宮第一中学校北校舎東端教室(二階は二年七組の教室)南側空地の同校舎から約一五メートル(但し中心部、以下同じ)離れた地点に解体した便所の廃材を積み上げこれに点火して焼却し、更に、焼却場所をその西方約七メートル同校舎から約二〇メートル離れた地点にも設け、廃材を積み上げてこれに点火し、被告人が運転するユンボで解体した南校舎の廃材をすくい上げてこれを火中に投げ入れることを繰り返し、引き続き、被告人の妻に右廃材を次々と火中に投げ入れさせ、右北校舎から出火するに至つた同日午後三時ころまで右廃材の焼却を継続していたこと、そして右焼却の間を通じ、燃え盛る時には火炎の高さが二メートルを超えることがしばしばで、その火勢は強く、「パチパチ」とはじける音がし、煙は二年七組教室の南側外壁に吹き上がり、午前一一時三〇分ころ、校舎解体工事現場に仮設されていた高さ一・九メートルの板塀と北校舎の間の通路を通つた中学生は、板塀越しに火の粉や灰が舞い上がつているのを目撃し、正午過ころ右通路を通つた中学生らは強い熱気を感じ、また、そのころ北校舎の東方にある便所の廊下を歩いていた中学生の身体に南方から沢山の火の粉が飛んできて目が開けられないほどの熱気が吹きつけ、更に、午後一時過ころには、北校舎北方のグランドから、廃材焼却の黒い煙が勢いよく上空に立ち上り、これが北校舎東端付近の屋根を越えてグランドに流れているのが目認され、午後二時三〇分ころまでの間に時折りすすが右グランドの西北部付近に落ちていたこと等の事実が認められるのであつて、被告人の廃材焼却についての原判決の事実認定に誤りはない。下豊及び被告人の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における各供述中所論に副う部分は、目撃者らの供述、特に、鈴木公子、井手雅之、後藤幸子、佐野誠、岩本千尋、渡辺喜久美、小長谷均の司法警察職員に対する各供述調書及び原審証人佐野いづみ、同深沢智子、同小倉勇の各証言に照らして措信できず、所論の非難はあたらない。

更に、所論は、出火の場所につき、原判決は、これを北校舎南側外壁東端軒下部分とし、かつ外壁の羽目板自体が燃焼したと認定しているが、同所に観察された火炎は、その出火の状況に照らすと、北校舎の屋根裏ないし天井裏から出火したその火炎が軒下下方の板壁の透き間から吹き出したいわゆるフラツシユオーバー現象と認定されるべきものであると主張し、また出火の原因について、一般的に焚火の飛び火が火災の原因となる可能性は低いもので梅雨明け直後の湿度の高い時期におこることはまれであつて、被告人が行つた廃材焼却の状況に照らすと、その場所から一七メートル以上も離れた校舎の板壁に付着しこれを燃焼させるような大きな火の粉が飛ぶことはあり得ず、飛び火を出火の原因とするのは誤りで、このことは半田隆が本件火災当時の状況をできるかぎり再現して実施した実験結果に照らし明らかであり、本件火災は、北校舎に配線された電気系統の異常による発熱に起因する可能性が大きいものであるのに、半田鑑定に対する評価を誤りその信用性を否定した原判決の証拠判断は誤つていると主張する。

そこで、まず、本件火災が廃材焼却の飛び火以外の原因、特に漏電その他の電気的異常により生じたものであるかその可能性について検討するに、記録を調査し当審における事実取調べの結果を総合すると、本件火災が発生した北校舎は木造二階建の建物で、その外壁は板壁の羽目板張りで、二階軒下の一部にモルタルが使われた部分があつたが接地しておらず、構造的に配線から大地に電気的なつながりを生ずる余地はなく、出火前の気象状況は前記のとおりであつて、相対湿度、実効湿度とも次第に低くなり出火当日は乾燥した状態にあつたことにかんがみると、建物の構造体(木材)の水分を通して電気が大地に流れたとは考えられず、また昭和五三年三月二九日実施された自家用電気工作物の年次点検における北校舎一階及び二階の絶縁抵抗測定値は、通産省令の電気設備技術基準に定められている〇・一メグオームに対し、〇・六及び一・五メグオームであつて異常はなく(なお、右測定は、七回路及び四回路分をそれぞれ一括してメインスイツチで測定されているが、右測定値に異常がないことは、メインスイツチから分岐されている各回路にも異常がなかつたことをあらわしている)、建物の老朽化や冬期と夏期における湿度の違いにより測定数値が異なつてくることを考慮に入れても、本件火災当時配線は健全なものであつたことが推認できるのであり、また、同校南門の東側横にある変電設備(キユービクル)には五〇ミリアンペアから一〇〇ミリアンペア以上の電気が流れると警報ブザーが鳴るように装置された漏電警報器が設置されていて、その近くでは被告人外六名の者が解体した校舎の廃材処理作業に従事していたほか、付近で右作業を見ていた人や当日同校体育館で行われていたバスケツトボール競技大会の関係者で南門を出入りした人がいたのに、出火前に右警報ブザーを聞いた者は誰もいないのであつて、これらのことから漏電があつたとは到底考えられないのである。その他電気的異常としては、配線接続部の過熱や絶縁材の汚損によるトラツキング現象(弱い短絡現象)等が考えられないわけではないが、火災当日(日曜日)発火場所に接している前記二年七組の教室は使用されておらず、電灯のスイツチは切られており、発火直後同教室に入つた被告人の供述からも教室内部のコンセントやソケツト等から発火したものでないことは明らかであり、絶縁材の汚損によるトラツキング現象は結露の甚だしい極めて悪環境のもとにおいて生ずる特殊な現象で、屋内配線はプラス線とマイナス線が一定間隔以上離して配線され、これが接触することは通常考えられず、記録を精査しても、配線の接続不良を疑わしめる証拠は存在しない。なお、本件火災時同校に設置されていた自動火災報知機の警報ベルが作動しなかつたが、これは、当時火災が発生していないのにしばしば警報ベルが鳴つていたことから、電源を切つてベルが鳴らないようにしていたためであることが認められるし、また火災が発生した日の三日前に北校舎にある職員室のコンセントを電源として二〇〇ワツトの照明灯二基を点灯したところそれが途中で消えたり、翌日職員室で電動鉛筆削りが作動しなかつたことがあつたが、職員が点検したところその回路のヒユーズが熔断していたのでこれを取り替えたところ、以後特に異常が生じなかつたことに照らすと、右現象は照明器具内で短絡をおこしたか、その使用により電流が流れすぎたことによるものと考えるのが相当で、これらの現象から配線上の異常を推認することはできない。また南校舎の一部解体にともない火災発生の日の二日前に解体部分の配線を撤去する工事が行われているが、この配線の一部撤去が、他の電気回路に影響を及ぼし、北校舎の配線に電気的異常をもたらしたとは考えられず、さらに、本件火災発生後、関東電気保安協会の職員が現場に到着した時、前記漏電警報器の警報ブザーが鳴動していたことがうかがわれるところ、火災発生後に、火災で電線が熔断し垂れ下がつて接地体に接続したり、あるいは消火活動中配線に水がかかつて電気が流れやすくなり警報ブザーが鳴ることはよくあることで、前記のとおり消防関係の調査や警察の捜査を通じ、火災発生前に警報ブザーを聞いたというものが誰もいなかつたことに徴すると、火災発生後の時点で警報ブザーが鳴動していたことから出火前にもこれが鳴動していたことを推認することはできない。以上要するに、半田鑑定が漏電その他の電気的異常による出火の可能性があると考える根拠として具体的に指摘していることはいずれも証拠上根拠に乏しいと考えられるし、校舎建築後長年経過し、配線が古い布引きゴム線で布引きの被覆が一部破れて老朽化していたことから直ちに電気的異常による火災発生の具体的可能性があると考えることもできないのである。

次に出火の場所及び状況について検討するに、半田鑑定によると、出火場所は出火の状況から屋根裏ないし天井裏と考えられ、北校舎南側外壁東端寄りの軒の下方に観察された火災は、フラツシユオーバー現象ないしその初期的現象であるフレアリング現象と考えるべきであるとしている。しかしながら、右火炎が、屋根裏ないし天井裏において発火し、未だ燃焼していない可燃性ガスが屋根裏等に充満しこれが一挙に燃焼して噴出した火炎であるというのであれば、なぜ右一ヶ所だけから噴出したのか理解し難いものがある。すなわち、記録を調査して検討すると、北校舎の外壁面は板壁の羽目板張り(南京下見板張り)でその内側に内壁があり、外壁と内壁の間は、内壁の外側に出窓式に設けられた窓の部分を除き空洞となつて二階軒下まで続き、建物の土台から軒下まで煙突状になつており、外壁の羽目板は老朽化しかつ乾燥して反り上がり、板と板との間には透き間がある状態でところどころ破損していたことが認められるのであるから、屋根裏等に充満したガスが一挙に燃焼し爆発的現象をおこしてその圧力で火炎が建物の透き間から噴出したのであれば、右外壁に存する他の透き間から同時に広い範囲に数ヶ所から噴出しなければならないと思われるのに、出火時においては前記の場所一ヶ所だけであつたことは目撃者の供述から明らかなところであり、不可解というほかない。そして火災発生時にこれを目撃した被告人ら廃材処理の作業員らの供述によると、火炎が出ていた場所は、北校舎南側外壁の東端から約一・五メートル程西方の軒下で二階二年七組教室の一番東側の窓の直上部の羽目板部分一ヶ所だけで、火炎の大きさは五〇センチメートルないし八〇センチメートル四方程度と認められる。そしてその後火災に気づいた他の目撃者らの供述を含めて検討すると、被告人や他の作業員らは、目撃後直ちにバケツを探し付近の水道から水を入れ地上から火に向かつてこれをかけたが効果がなく、被告人は校舎の二階二年七組の教室に上がつたが、間もなく下に降り、ユンボを動かして燃えている外壁付近の羽目板をかじり取つたが、その消火作業中に火災に気づいた中学生芹沢知道が同所にかけつけていること、芹沢は北校舎北側のグランド東側の土俵のところから、同校舎屋根の上方に煙が立ち昇つているのを見て一旦はこれを廃材焼却の煙と思つたが、その煙の量が多かつたのでしばらく眺めていたところ、同校舎東側軒下の通気口から煙が出ているのに気づき、火事だと思つて同校舎の南側に行き、被告人が前記のとおりユンボを操作して消火作業をしているのをみたこと、そして芹沢は体育館にいた教師らに火災の発生を知らせたのであるが、競技を観戦していた同校教師岩本千尋は騒ぎを聞いてグランドに出た際、二年七組教室の北側の軒下から激しい勢いで炎が吹き出しているのを目撃したことが認められる。ところで芹沢はグランドで煙を観察していた間、北校舎の北面からの煙や火炎は一切見ていないし、また東側の通気口の煙も当初気づいていないことに徴すると、最初は煙が出ていなかつたか、出ていたとしてもわずかのものであつたと推認できるのである。(なお、井手雅之の司法警察員に対する供述調書中右認定に添わない部分は措信し難い。)

このように見てくると、火炎や煙は北校舎の南側、東側、北側等各方面から同時に出たものではなく、時間をおいて南側から北側へと広がつていつたものと推認され、屋根裏等に充満した可燃性ガスが一挙に燃焼したものとは考えられない。

しかして、半田鑑定では、羽目板に飛び火が付着して発火させるには一〇ミリメートル以上の火種が必要であり、このような火種を一七メートル以上も飛ばすには七、八メートル以上の風が吹いていることを要するとし、実大実験の結果に基づいて、本件においてはそのようなことは起り得ないといい、かつ同鑑定における実大実験は、本件火災時の状況とできるだけ同じ条件を設定して実施したというのであるが、記録を検討すると、天候、気温、湿度、風の状況等の気象条件並びに実験の装置は火災時の状況と一致するものではなく、その実験結果の評価には限度があり、その結果から本件火災発生の可能性を否定するのは相当でない。

本件火災発生時の気象状況は前記のとおりで、気温は高く、かなり乾燥状態にあり、かつ午後からは同地方は四ないし五メートルの南の風が吹いていたのであつて、このような状況の中で多量の廃材を長時間燃やし続けた場合、熱気流の生ずることをも勘案して考察すると、瞬間的には右風速を超えるかなり強い風が吹き上げることは容易に推認できるところであり、前記廃材焼却の状況について判示したところを併せて考えると、廃材焼却の火の粉が校舎の外壁に飛び火したことは十分認めることができる。なお半田鑑定によると、風下から点火した場合には火の粉は発生しにくいというが、廃材を集めて点火しただけであればともかく、燃えている火中に次々と廃材を投入し続けおよそ五時間余にわたつて燃やし続けた本件において、風下から火をつけた場合と同様に考えることは実態に則しないもので、この点は捨象して考察するのが相当であり、廃材を追加投入し燃焼させる過程で風上から点火した場合と同様火の粉が多量に発生したことは十分推認できるし、現に前記のとおり目撃者によつても確認されている。

そして、前記北校舎は、建築後二八年余を経て老朽化し、外壁の羽目板は風化して反り上がり、当時の相対湿度も実効湿度も低く、かつ午前一一時以降気温は三〇度ないし三一度に上昇し、校舎の南側壁面は朝からの直射日光を受けてかなりの高温と乾燥状態にあつて、火の粉が付着しやすいと同時に前記のとおり外壁と内壁の間は空洞となつて煙突状になつていたことをも併せ考えるとこれが消えにくい状況にあつたものと推認されるし、目撃者の供述から外壁に見られた最初の火炎は羽目板が燃えていた火と認められることにかんがみると、本件は廃材焼却の火が飛び火して外壁の羽目板と羽目板の透き間に入つてこれに付着したうえかなりの時間外壁の裏側で無煙燃焼を続け、遂に炎を発して燃え上がつたものと認められる。そしてこのような飛び火火災の発生の可能性は四條洋成作成の火災調査報告書添付の富士宮市及びその周辺における過去一〇年間の飛び火火災の事例、四條洋成の原審第一九回公判廷における供述にあらわれている飛び火火災の事例、あるいは富士宮市芝川町消防組合消防長石川嘉治作成の「捜査関係事項照会に対する回答」と題する書面に添付されている東京消防庁の火の粉出火に関する研究結果等によつても裏付けられるのである。

その他、記録を精査しても本件火災が被告人の廃材焼却の火の飛び火により生じたものであるとの原判決の事実認定に誤りは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤丈夫 前田一昭 本吉邦夫)

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